母の日

雑記

老いているのに老いた感覚を掴みきれていない

私は結婚もせず、家に居続けて五十余年、母はずっと母であり、外から母を見たことがない。

家を出た人間なら、たまに帰省して母に会うとか、母の日に何か送る、とか外から見る機会があるだろうが、私にはそれがない。

母の日にカーネーションを買ったり、何かしら物を買ってきたりはあるが、相対する感覚は子供の頃からずっと同じ。

これだけ一緒に住んでいると、母の変化にもなかなか気がつけない。

最近怒りっぽくなったなぁ、とか、前ならこんなことで叫んだりしなかったよな、程度は気がつくが…

認知症が進んでいても、前からこんなもんだったかな?で過ごしてしまっているかもしれない。

手伝いは鬼門

うちの母は、家事の手伝いすると嫌がる人間だ。

これは、私が小さい頃から手伝うことが日常になっていなかったせいもあると思う。

私が家事をすると、

「自分のやったことに文句をつけられている」

「自分のやり方を否定されている」

と感じるようで、やらなくていい、やるな、と言ってくる。

辞めたくない会社を辞めさせられることになり、今までやってきた自分の業務を引き継げ、と言われているような感覚なのだろうか。

つい最近、そんな状況にさせられていた自分なので、そんなふうに感じてしまうのかもしれない。

なんにせよ、うちの母は自分のテリトリーに手を入れられたくない、という人間なのだ。

しかし、なにも手伝わなくてもこれまた怒り出すのだ。

天邪鬼そのものだ。

私の素直さのない性格はここで培われたんだろう。

母の日に思う

小さい頃には母のこういった性格をよく理解していなかったが、大人になってから観察すると問題ありありの人間性に感じ、他人だったら付き合わないレベルだ。

そんな母と50年以上付き合ってきた父がむしろなかなかの人格者に思えてしまう。

しかし、もし私が30歳くらいまでに結婚でもして家を出ていたら、こんなことには一生気がつかずに終われたような気もする。

つまり、私が悪いんだ、と思った2023年母の日でした。

コメント