電子書籍が三千冊を超えた
このくらいになってくると、前に読んだものを忘れかけていて、既読扱いになってるものを読んでもあまりストーリーを覚えていなかったりする。
そして読み直してみて、あれ?コレ初見じゃないな、なんとなく内容わかってるような、というくらいまでは思い出すが、オチまできっちり覚えていないので結局初めて読んだような気分になる。
これってもしかして新しいものを買わずとも前のを読み返しているだけで楽しいんじゃないか自分。
リアル本と全然違う
小さい頃、何冊も一気に買うなんてことは無く、一冊一冊本屋に買いに行き、その一冊を買うのも全力の思いを込めていた頃、買った漫画の中身を忘れるなんてことは無かった。
買った一冊の漫画を何度も何度も読み返すので、あの漫画の何巻のどの辺りにはこういうシーンがあって、てことを覚えてしまうほどだった。
(まぁ今とは脳みそが違うんでコレを今出来ないのは仕方ないけど)
電子書籍を買い始めてまだ数年だが、それまで何十年とかけて買ってきたリアル本を電子書籍はその数年で何倍にも超えてしまった。
しかし、その中身の読み方はとても薄くなったように感じる。
買って読めていない漫画があることがまぁ顕著な例だが、あの頃とはまるで向き合い方が違っちゃってる。
良くない。
何度も読み返す、ということが本当に少ない。
せっかくデバイスさえあればどこでもいつでも読めるってーのに、なんかいつも新しいものを買っては読み、買っては読み。
なんたる贅沢。
多分自宅漫画喫茶的な感覚っていうのかな。サラーっと読んで終わり。まあ面白かったかな。ポチ(評価)。はい次。
みたいな。
いやぁ、ものすごいお金の使い方に思えてきた。
残らないわけじゃないけど、ある意味残らないものにお金かけてるんだよね。
今の私の心の拠り所としてコレが楽しみなんだからまぁいいや、と思うことにしよう。
ミュージカルやコンサートにも沢山お金かけてきたけど、それに比べれば残る方だと思うし。
この歳になると、残らないから良いってこともある。
人生結構前に折り返した。これからの人生、断捨離キャンペーンが死ぬまで続くしね。
思い出話
小さい頃、ウチに来ていた大工さんが、私がキャンディキャンディの1巻を読んでいたら、2・3巻をプレゼントとして買ってきてくれた。
実はその時点で2・3巻は持っていたのだが私はたまたま大工さんが話しかけてきた時に1巻を読んでいたのだ。
だから大工さんが2・3巻を買ってきてくれた時、心から喜べなかった。
おそらく大工さんは子供のそんな心情はすぐに察したと思う。
それが申し訳なかったと今でも思うことがある。
ただの自分の仕事先の子供に自費で漫画買ってあげようなんて、今の自分だったらしないと思うから。
とても可愛がってくれたんだな、と思う。
可愛いと思ってたら私も買うかもしれないと思うので。
あの大工さんはもう亡くなってるかもしれないし、ご存命でもそんなこと覚えてないかもしれないけど、私はたまに思い出してなんとも言えない苦い気分になる。
まぁ漫画は読み返すのが私には昔から当たり前だった、って繋がりの思い出話でした。
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