あの日も仕事をしていた。そして昨日も仕事をしていた。
同じビル、同じ職場で。
あの日も昨日も金曜日。あの日も昨日も私は独身。
11年経っても変わり映えのない生活をしている。
そしてそれは幸せなことなんだなぁ、と思う。
家族が欠けたり、仕事場が無くなったり、病気になったり、怪我をしたりもしていない(五十肩はやってるけど)。
14時46分は毎年いつのまにか過ぎてしまっている。あの当時はのうのうと生きてることが申し訳ないほどの痛みがあったのに。
今、ウクライナでは惨状が繰り広げられている。爆撃後の様子を見ると、まるで津波の後の街並みのようだ。
自分の家が消えて無くなり放浪する人、隣国に避難するために家族が離れ離れになる人、家族が亡くなった人、そして死んだ人。
自然災害ならばどこか「仕方ない。自力でどうにか出来る話ではない。」という諦めもつけられるが、あの人為的な災害を諦められるだろうか。
死んだら生き返らない。今、即停戦して、あれはなんだったの的な和平が成り立ったとしても生き返らない。
ちなみに水害の時にも思う。あんなに大水だったのに翌日にはスッカリ晴れて水も引き、あれはなんだったの、と思う状況になっても、流されて亡くなった人は帰らない。
ウクライナ侵攻は、人が死ぬ前にどうにかならなかったのか。
ここまでやらないといけないことなのか。
中東戦争があれだけ続くのも、宗教に浅い自分には理解し難いものがあるが、今回の件でも、ロシアもウクライナも、人が死んでまで、人を殺してまで、そこまでやらないといけない理由がわからない。
この私の理解の浅さは日本の教育のせいなのか。
ウクライナの人が徹底抗戦の構えで侵攻に備えていたのにも驚いた。
まるでかつての日本の全皇国民玉砕覚悟の竹やり訓練のようだ。
でも、今の日本であの事態になったとしても、誰かがどう音頭を取ろうと、あの心理にはならないのではないかと思う。
それはやはり教育なのだろう。
しみじみアメリカは日本を根底から変えていったんだなと思う。
震災と戦災。似た響きではあるけれど、戦災は確実に避けられたはずの災禍だと思うと、諦めきれない。
それがまたあの人たちのこの先の人生を辛いものにしそうで、見ていてとても辛い。
とはいえ、どんなに自分なりに考えて被災者に心を馳せたとしても、当人の気持ちや状況を理解することは出来ない芸当だ。
知り合いが「五十肩で腕が上がらない〜」とぼやいていた時、まだ五十肩になってなかった自分は「何言ってんの、笑える〜」程度の話でしか聞いてなかったからだ。
その記憶が鮮明にある。
当事者でなければ結局そんなものなのだ。当人の痛みや苦境は、残念ながら当人にしかわからないものだと思う。
それをわかる努力をし続けていきたいと思う。
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