そう聞いてはいましたが自分の心が安定していた時には実感はまるでゼロでした。私がなるわけない、え?むしろどんな感じ?意味わからない的な。
でも環境と考え方ひとつでそんな人間でも本当になるんだということを今回経験したので自分なりに鬱を考察しようと思います。
- 環境
- 現在の非正規雇用がそろそろ切れる
- 更年期症状
- 自分と親の老化
- 考え方
- 独り気ままな生活を「悲しい」「人として残念」「希望がない」と考え出した
鬱とは
将来を悲観する
鬱って要はコレのことなんじゃないかと思います。
自分の中での悲観。他人にはその悲観度を測ることは出来ないし、理解もされない。環境も考え方も同じ人間はいないので。「あなたは恵まれている」と人から評価される立場にいたとしてもそんなことは微塵も関係ない。ただ、本人は「もう人生終わった」レベルに悲観。
鬱の使い道(オタク体質の変化)
少し話がズレるのですが、オタクは基本的にモノに執着します。買っただけで満足することもあります。そんな本やDVD、写真等が部屋の押し入れに山積みで四半世紀。捨てよう、と思ったことは今までありませんでした。
しかし、鬱症状によって好奇心が薄れ、モノへの執着が希薄に。好きだった漫画やアニメが全然心に入ってこなくなりました。
そして断捨離を思い立つ。まるで知らない誰かの遺品を整理するかのように作業。モノに対し気持ちがあると、捨てる前に少し見たりしてなかなか作業が進まないのですが、鬱だとそうはなりません。
そして、それがなんであれ、何かが進捗するということは鬱の症状に良い影響があるように思えました。
改善に向けて
婦人科でもらった加味逍遙散の力は大きかったです。
それとは別に自分への戒めとして下記をよく思い返すことにしようと思います。
- 自分を他人と比較しない
- 自分は欲深いと考える
人を羨ましく感じるが、どうやったってその人にはなれないし、羨ましいと思っているその人も、私が知らないだけで実は鬱になる程辛いことを抱えているかもしれない。
人間あれもこれもは手に入らない。現状じゃなかったらもっと良かったのかどうかは誰にもわからない。
今ある現状を改善する方に努力するのみ。難しいですけど。
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