恒産無くして恒心なし
孟子の中の言葉らしいけど、
安定した収入もしくは財産が無いと、いつもの心は保てない、という意味。
転職活動をしていた頃まさにそう思ってた。昔の人はすごい。
(てか、紀元前から人間の本質が変わってないことが凄い)
25年以上働いてきた職場を追われることがわかった頃から、今の職場に落ち着き仕事自体も落ち着いてくるまでに2年。
その間、心が危機を感じて、色んなものがそれまでと同じようには楽しめなくなった。
舞台を観ていても、テレビ番組を観ていても、心から楽しめる自分はいなくなってしまった。
もちろん雇用保険に長らく入っていたのだから、たとえ無職になったとしても収入自体は半年〜一年程なら心配は要らない状況だった。
だが、無職では恒心は保てないのだ。
毎日行く会社がある。
毎日会社に仕事がある。
会社の人間関係が悪く無い。
会社の環境が悪く無い。
待遇が悪く無い。
それがどれほどありがたいことか、転職活動してしみじみわかった。
1ヶ月半だけいた会社は、人間関係はあまり良くなかったし、環境も待遇もイマイチだった。仕事はアナログ過ぎて辛かった。
それを思えば今の会社は上記を全てクリア出来ている。
今の会社に就職できて良かった。
本当にありがとう。
理解されない心
25年以上勤めた会社を追われることになった時、私が今どういう心境にあるか、とか、その不安がいかに物凄いか、をどう説明したところで、他人には理解出来ないだろうと思った。
崖っぷちに追い込まれて震えているのに、これは本人にしかわからない、絶対人には理解されないと思った。
ましてや同僚であるその会社の社員であればなおさらだ。
相談なんて出来るような相手じゃ無い。
恒産が有る人に、恒産が無い人の心を推し量ることは容易では無いのだ。
25年以上勤めた会社を追われた時、あの会社の社員は涙ながらに見送ってくれたが…
彼女が泣いていたのはこれから1人になる自分のためだろう。
彼が惜しんでくれたのは、これから雑務を自分でやらなきゃいけなくなる自分のためだろう。
それで良い。人なんてそんなものだ。
今、定職に就いている私は、現在無職の友人と話をしても、私もおそらく本当の意味でその友人とシンクロすることは出来ない。
ついこの間まで同じ心境に居たはずのに、もうすでに他人のそれを心からわかることが出来なくなっている。
自分はなんて薄情なんだろうと思う。
恒産が無い人の犯罪をよくテレビで見る。
その犯罪はまるで理解できない。
まずその不安が理解出来ていないから。心が寄り添えていないから。
無職の時に見たらあれらの犯罪を少しは理解出来るのかもしれない。
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