失くしたものへの未練
本当に私は無いものねだりの性格だ。
今の仕事が落ち着いて続けていられるようになったというのに、落ち着いたことで前の会社をより思い出すようになった。
仕事でちょっと検索した時に、google mapで前の会社付近を見ることがあった。
「いつもランチの時に歩いていた場所」とか「よく買い物に行っていた薬局」とかを見て一瞬泣きそうになった。
ずっとここに居たのに今は居ない。
私はここに居たかったのに。
私が居た頃には無かった店やビルが出来ているのを見たのも悲しかった。
あれから一年半以上経って、私はまだ引き摺っている。
私は雇止めをされたのだから未練を持つことは無いと思っていた。
自らの意思で辞めたらいつか後悔する時が来るかもしれないと思って、会社側から辞めさせられる状況は辞める理由としては歓迎していた。
でも結局未練はあるようだ。
落ち着いて会社に就職出来ればそれだけで御の字だと思っていた就職活動時期の自分に言ってやりたい。
どう辞めても「前が良かったように思える」時が来るよ、と。
薄れる記憶と強欲さ
嫌だったことならいっぱいあった。
怒りで一晩寝られない時だってあった。
でもいいこともいっぱいあった。
今自分がそこにいないと良かったことばかりが脳内でクローズアップされるのだ。
なぜなら、今、それを私が持っていないから。
そこに居られる権利を持っていないから。
辞めさせられる話が現実的になった頃から、自分の心の平穏を保つためにこのブログを書き始めた。
嫌だったことをきちんと思い出せるように、という気持ちもあった。
でもそんなのを読み返してる時間は無い。
結局やな事は結構忘れてしまう(忘れようとしてしまう)のだ。
自分はなんとおめでたい人間なんだろう。
そしてなんとあさましいのだろう。
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